有川十七日祭り ありかわじゅうしちんちまつり

400年もの昔より、水難事故から島民の安全・無事を祈願しにわか芝居や踊りを奉納する【海童神社】のお祭りです。総勢50人ほどの役者が一山車を形成し、海童神社を皮切りに9カ所の踊り場を廻ります。山車は横幅2m、奥行き1mほどの小舞台で、披露する寸劇にちなんだ背景画が描かれ、その舞台の前でにわか芝居を披露します。
趣向を凝らしたら時代物や現代物のにわか芝居は各10分ほど披露され、観客からは笑い声と共に歓声や拍手が送られます。このにわか芝居には、必ず最後に『落ち』があり、落ちがでたところで「にわかじゃー」の歓声と共に劇は終了。囃子とともに、次の場所へと移動します。劇場が観客の所へ移動して芝居を行う全国的にも珍しいお祭りです。〈新上五島町無形民俗文化財〉▶祭りの由来


令和6年7月28日(日) 午後1時~(海童神社前)

踊り場:海童神社恵比寿神社➡江口正利扇神社➡役場有川支所前➡自衛隊敷地内➡高崎公民館➡有川神社➡浜公民館➡うどんの里


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十七日祭りの由来…【五島神社誌】によると、江戸時代初期の3年間、旧暦の6月17日に限って有川村において、子供から大人まで水難事故が相次ぎ、村人は海を恐れ、不安がつのるばかりでした。こうしたある晩、村の乙名役 高井良福右衛門の夢枕に龍神が立ち「吾は昔からこの地に住んでいるが、誰も祀ってくれない。どこか住むところを見つけ祀ってくれるなら、何でも叶えよう」とご神託を残し消えたそうです。早速、村人と相談し、神小島に祠をたて龍神を勧請し、即席の「にわか芝居」を奉納してお慰めしました。それが元和6年(1620年)6月17日であり、以来、水難事故がなくなったことから、この年以降、旧暦の6月17日荷「十七日祭り」として、今日まで綿々ととり行われています。最盛期には、山車は20を超え、踊り場も100ヶ所以上あり、夜遅くまで行われていました。また娯楽の少ない離島では、町内や隣接町は勿論、宇久・小値賀島等からも多くの見物人が集まり、道も通れないほど賑わっていたそうです。    
お問い合わせ先 〈有川まつり振興会〉

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