教会巡り

教会巡りコース-1

上五島は、29もの教会が島の至る所にひっそりと佇む、祈りの島。
その中でも、人気のある教会をピックアップした、教会巡りコースです。

  • 所要時間:半日
  • 主な交通手段:車

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約30分

頭ヶ島天主堂-1

頭ヶ島天主堂

1軒をのぞいて皆キリシタンだったという頭ヶ島。 迫害が厳しくなり、五島崩れの際に、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、禁教令が解かれてから、この地に戻ってきました。

頭ヶ島教会堂は1910年(明治43年)に着工され、1919年(大正8年)に完成しました。設計は上五島出身の教会建築家・鉄川與助が手がけ、地元で採れる砂岩を使って建てられました。建設には長崎や地元の石工、そして地元の信徒も参加しましたが、資金不足により工事期間は約10年を要しました。教会堂の外観は、水平に積み上げられた粗い表面の石壁が特徴で、深い陰影により力強い印象を与えています。正面には八角形ドーム屋根の塔屋がありますが、これは後から追加されたため、やや不釣り合いな大きさとなっています。外壁の石材にはノミで「四九五」など漢数字が刻まれており、これは石材の寸法を示すものと考えられています。例:「四九五」=4尺9寸5分内部は柱のない一室構成で、柱をなくすことで限られた空間を広く使え、天井も高く感じられる工夫がされています。外観は力強い男性的な印象ですが、内部は花模様の装飾が施され、優しい雰囲気となっています。祭壇は建物本体の完成後に設置され、北魚目の江袋教会の祭壇と類似したデザインを採用しています。中央の屋根部分には八角ドームがあり、下段には日本的な植木鉢模様が施されています。石造りを採用した理由は、単なる地元の石材の豊富さだけではありません。限られた建設資金の中で、耐久性の高い教会堂が必要とされました。地元の砂岩を使用することで、レンガ造りと比較して材料費と施工の手間を大きく削減できました。実際、頭ヶ島天主堂は当時の大規模なレンガ造りの教会と比べ、約10分の1程度の費用で済んだと言われています。また、この時期は崎浦地域の石材業が最も盛んで、地元の石工たちの技術も非常に高い水準に達していました。鉄川與助の優れた設計センスと相まって、限られた予算で格調高い石造りの教会堂が実現したのです。

 
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
江戸時代、日本では禁止されていたキリスト教。この時代、表向きは仏教徒として暮らしながら、密かにキリスト教の信仰を守り続けた人々を「潜伏キリシタン」と呼びます。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、そんな厳しい時代を生き抜いた人々の歴史を今に伝える貴重な遺産群です。宣教師不在の中での信仰継承、密かな祈りの実践、そして禁教が解かれるまでの歴史を物語る12の遺産で構成されており、新上五島町からは、この頭ヶ島天主堂のある頭ヶ島の集落が選ばれました
頭ヶ島天主堂の見学は(個人・団体問わず)事前連絡が必要です。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター
♦TEL 095-823-7650/FAX 095-895-9690
♦対応時間:9:30~17:30

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約35分

旧 鯛ノ浦教会-1

旧 鯛ノ浦教会

上五島の布教の中心として、1881年(明治14年)に最初の教会が設立され、1903年(明治36年)に建て替えられた。鐘楼には、一部に長崎市の浦上天主堂の被爆レンガが使用されている。

現在は資料館として使用されており、踏み絵など弾圧時の資料を見ることができる。旧教会の後方には、ルルドや鯛ノ浦集落で布教に尽力された方々の像が建てられており、向かって右左端のプチジャン神父の墓が外れの墓地に、御巣鷹六人切りの墓碑が、教会裏手山腹に建てられている。

約20分

大曽教会-1

大曽教会

教会の保護者は「イエスのみ心」。

1879年に木造教会を建立し、1916年に現在のレンガ造りの教会堂となった。

鉄川与助による設計施工で、ステンドガラスは西ドイツ製、レンガは早岐から仕入れられた。

内部は3廊式で、主廊部・側廊部ともに漆喰仕上げ4分割ルブヴォールト天井で造られている。 

正面中央部には八角形のドームを有する鐘塔が突出しており、レンガの凹凸による装飾、

色の異なるレンガを規則的に使用するなど、壁面の意匠化も工夫されている。県指定有形文化財。 

旧教会は、1915年に若松の土井ノ浦教会として移築された。

約15分

青砂ヶ浦天主堂-1

青砂ヶ浦天主堂

1910年(明治43年)に建立された青砂ヶ浦天主堂は、鉄川與助による初期のレンガ造り建築の傑作です。2001年に国の重要文化財に指定され、2010年には献堂100周年を迎えました。赤レンガの優美な外観と、ステンドグラスから差し込む光が織りなす神秘的な空間は、思わずため息が出るほどの美しさです。教会の保護者「聖ミカエル」1878年(明治11年)頃には小さな集会所でしたが、大崎神父が外国から原書を取り寄せて設計・施工を指導し、1910年に現在の教会堂を建立しました。正統的な様式と意匠を特徴とする現在の建物は3代目です。

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