頭ヶ島天主堂 かしらがしまてんしゅどう

1軒をのぞいて皆キリシタンだったという頭ヶ島。 迫害が厳しくなり、五島崩れの際に、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、禁教令が解かれてから、この地に戻ってきました。

頭ヶ島教会堂は1910年(明治43年)に着工され、1919年(大正8年)に完成しました。設計は上五島出身の教会建築家・鉄川與助が手がけ、地元で採れる砂岩を使って建てられました。建設には長崎や地元の石工、そして地元の信徒も参加しましたが、資金不足により工事期間は約10年を要しました。教会堂の外観は、水平に積み上げられた粗い表面の石壁が特徴で、深い陰影により力強い印象を与えています。正面には八角形ドーム屋根の塔屋がありますが、これは後から追加されたため、やや不釣り合いな大きさとなっています。外壁の石材にはノミで「四九五」など漢数字が刻まれており、これは石材の寸法を示すものと考えられています。例:「四九五」=4尺9寸5分内部は柱のない一室構成で、柱をなくすことで限られた空間を広く使え、天井も高く感じられる工夫がされています。外観は力強い男性的な印象ですが、内部は花模様の装飾が施され、優しい雰囲気となっています。祭壇は建物本体の完成後に設置され、北魚目の江袋教会の祭壇と類似したデザインを採用しています。中央の屋根部分には八角ドームがあり、下段には日本的な植木鉢模様が施されています。石造りを採用した理由は、単なる地元の石材の豊富さだけではありません。限られた建設資金の中で、耐久性の高い教会堂が必要とされました。地元の砂岩を使用することで、レンガ造りと比較して材料費と施工の手間を大きく削減できました。実際、頭ヶ島天主堂は当時の大規模なレンガ造りの教会と比べ、約10分の1程度の費用で済んだと言われています。また、この時期は崎浦地域の石材業が最も盛んで、地元の石工たちの技術も非常に高い水準に達していました。鉄川與助の優れた設計センスと相まって、限られた予算で格調高い石造りの教会堂が実現したのです。

 
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
江戸時代、日本では禁止されていたキリスト教。この時代、表向きは仏教徒として暮らしながら、密かにキリスト教の信仰を守り続けた人々を「潜伏キリシタン」と呼びます。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、そんな厳しい時代を生き抜いた人々の歴史を今に伝える貴重な遺産群です。宣教師不在の中での信仰継承、密かな祈りの実践、そして禁教が解かれるまでの歴史を物語る12の遺産で構成されており、新上五島町からは、この頭ヶ島天主堂のある頭ヶ島の集落が選ばれました
頭ヶ島天主堂の見学は(個人・団体問わず)事前連絡が必要です。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター
♦TEL 095-823-7650/FAX 095-895-9690
♦対応時間:9:30~17:30

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エリア
有川エリア
カテゴリー
教会巡り

基本情報

住所 〒857-4102 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ケ島638-1

巡礼情報

世界遺産 世界文化遺産
文化財 国指定重要文化財
教会データ 石造・131㎡
竣工:1919年
設計・施工:鉄川与助
ミサ:第2・4日曜日16:00
小教区 鯛ノ浦小教区
拝観料・入場料 無料(献金箱にご寄付をお願いします。)
内覧時間 9:30~17:00

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