教会巡りのまえに。-1

教会巡りのまえに。

いまも暮らしの中に息づく、静かな祈り。
海を見下ろす高台の上や、入り組んだ小径の奥など、上五島には29もの教会がひっそりと佇んでいます。レンガ造りの重厚な教会から木造の素朴な教会まで作りも様々ですが、どれも信者が守ってきた大切な教会ばかりです。
1587年に伴天連追放令が発令、弾圧が強化されるなか、信者たちはひそかに信仰を続けました。
300年近く月日を経てようやく信仰の自由が得られた信者たちは信仰の証として教会の建立に全てを捧げました。生活を切り詰めて資金を捻出し、自らの手で岩を切り出し、それらの材料を一つひとつ運び、念願だった教会が完成した時の喜びは計り知れません。穏やかな風景に溶け込む上五島の教会は、今もなお、心のよりどころとして島の人々に大切に守られています。教会を訪れる時、その文化や歴史に思いを馳せ、教会に息づくものを感じてください。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

鎖国政策を行っていた江戸時代の日本ではキリスト教が禁止されていました。
この時、表向きは仏教徒として生活しながら、ひそかにキリスト教由来の信仰を続けようとしたキリシタンのことを「潜伏キリシタン」と呼びます。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教が禁じられている中で長崎と天草地方において、信仰を続けた潜伏キリシタンのあかしとなる遺産群です。国内に宣教師が不在となってキリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰の実践と共同体の維持のためにひそかに行なった様々な試み、そして宣教師との接触により転機を迎え、「潜伏」が終わりを迎えるまでの歴史を物語る12の構成資産からなります。新上五島町では頭ヶ島の集落が構成資産となっています。

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潜伏キリシタンとカクレキリシタン

上記のように、潜伏キリシタンは約250年に渡る禁教期間で独自の文化を育みましたが、多くは解禁後、カトリックへ復帰しました。キリスト教が解禁となったあとも、カトリックに戻らず独自の信仰を続けた人々が「かくれキリシタン」と呼びます。

教会建築を知る。

厳かで、凛としていて、眺めているだけでも心が洗われるような教会堂。
訪れた際には、ステンドグラス、扉、窓、天井、柱など、細部の装飾や意匠にも注目してみてください。

 

【教会の装飾と意匠】教会やその周辺の美しく荘厳な装飾や施された意匠には、さまざまな意味が込められています。

 花の装飾:4枚の花びらは十字架を表しているといわれています。上五島では椿の意匠も多くみられます。
 クローバー:クローバーの三つ葉は「御父と御子と精霊」の三位一体の像の総称とされています。
 白百合:聖母マリアのイメージであり、純潔の象徴とされる白百合。
 ざくろ:ひとつの実に種の詰まったざくろは信仰者が集う教会の象徴。
 ルルド:聖母マリア出現の奇跡の地ルルドへの想いを馳せた信徒たちが各地の教会にルルドをつくりました。
 十字架の道行:キリストの死刑宣告から葬られるまでを14枚の額にしたもの。順次たどりながらキリスト教の受難を黙想します。
 葡萄:聖書ではオリーブとともに聖なる植物とされています。葡萄酒はキリストの御血の象徴としてミサで捧げられます。
 麦:聖体の象徴といわれる麦。束になっている麦は感謝を、葡萄との組み合わせは聖体祭儀の象徴とされています。

💡明治~昭和初期に建てられた長崎のカトリック教会には、入口に「天主堂」と掲げられていますが、
これは神「デウス」の中国語表記「天主」を、外国人神父達がそのまま流用して「天主堂」としたもので、
町内の頭ヶ島と青砂ヶ浦については『天主堂』で文化財登録がなされているため、その名称を使用しています。

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「教会建築の父」と呼ばれた鉄川與助

鉄川與助は明治12年、新上五島町の旧魚目村で大工を務めた家系に生まれました。 尋常小学校卒業後、家業の大工の修行を重ねる中、22歳の頃に曽根教会の建設に関わった際に、フランス人宣教師のペルー神父と出会い教会堂の建築と深く関わるようになりました。以降、冷水教会、青砂ヶ浦天主堂、大曽教会、頭ヶ島天主堂など島内をはじめ、九州を中心に多くの教会関係の建物の設計・施工に携わりました。生涯、仏教徒を貫きましたが、神父たちとの交流を通してキリスト教の精神を理解し、数多くの教会を建設し、日本近代建築史に輝かしい功績を残し教会建築の第一人者と称されるまでになりました。

📍設計・施工を手がけた教会堂の一部

  • 冷水教会-1

    冷水教会

    【新上五島町】
    鉄川与助が棟梁として初めて設計、施工した教会として知られている。

  • 青砂ヶ浦天主堂-1

    青砂ヶ浦天主堂

    【新上五島町】
    ・国指定重要文化財

    正統的な様式、意匠が特徴で、鉄川與助の手による初期のレンガ造りの教会堂。重層屋根構造を採り入れ、レンガの組み合わせで外壁に十字架を描くなど細部にもこだわりがみてとれる。

  • 頭ヶ島天主堂-1

    頭ヶ島天主堂

    【新上五島町】
    ・世界文化遺産構成資産
    ・国指定重要文化財

    地元の砂岩切石を積んだ石造教会。折り上げ天井と、椿をあしらった装飾、銅板張りのドーム屋根を冠した塔屋が印象的。

  • 田平天主堂-1

    田平天主堂

    【平戸市】
    国指定重要文化財

    ©(一社)長崎県観光連盟
    ▶詳細

  • 江上天主堂-1

    江上天主堂

    【五島市】
    ・世界文化遺産構成資産
    ・国指定重要文化財

    ©(一社)長崎県観光連盟

    ▶詳細

  • 旧野首教会-1

    旧野首教会

    【小値賀町】
    ・世界文化遺産構成資産
    ・県指定有形文化財

    ©(一社)長崎県観光連盟

    ▶詳細

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有川港ターミナル内の鯨賓館ミュージアムでは鉄川與助氏の設計図や愛用の大工道具、教会堂のリブ・ヴォールト天井を模したものなどを展示しています。

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信仰と弾圧の記憶を色濃く残すキリシタン洞窟

明治元年、「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が起こり、上五島の若松地区周辺でも弾圧の嵐が吹き荒れました。
そのような中、キリシタンは迫害を逃れるために、船でしか行くことのできない洞窟に身を隠していました。洞窟は、若松港から船で10分ほどのところにあり、奥行き50m、高さ5m、幅5m。海岸からは入口が見えないこの場所は格好の隠れ場であったといえます。 しかしある朝のこと、朝食を炊く煙を、沖を通る漁船に見つかり、役人に通報されて捕らえられました。その後、昭和42年、苦しみに耐え、信仰を守り抜いてきた先人たちをしのび、その悲しみを永く祈念するために、洞窟の入口にキリスト像が建てられました。毎年11月、土井ノ浦教会の信者を中心に100名ほどが上陸し、ミサを行い、祈りを捧げています。

教会は祈りの場です。

教会とは、ラテン語で『Ecclesia:エクレシア=招集』を意味します。一般的に祈りの場としての「建物」を教会と呼んでいますが、キリスト教用語ではもっと広い意味で、建物だけでなく信者の組織・信者の集まりのことを指します。
教会は、今もなお信者の方々が大切に守り続けている祈りの場所であることを理解し、拝観マナーを守ってお過ごしください。

 

1.教会は祈りの場です。静かにご見学ください。
● 結婚式・葬式など祭儀が行われている場合は拝観をご遠慮ください。
● 静かな見学を心がけ、お子様連れの場合は同伴者の方がご配慮をお願いします。また携帯電話 の使用もご遠慮ください。
● お祈りをしている人がいたら静かにご見学いただくか入堂をご遠慮ください。

2.内陣・楽廊(2階)への立入は禁止です。
● 祭壇や朗読台を配した「内陣」は神聖な場所なので絶対に立ち入らないでください。
●「楽廊」とよばれる2階部分は古くなって危険な場合があります。立入はご遠慮ください。

3.教会内の写真撮影・飲食・喫煙は禁止です。
● 教会堂内での撮影は禁じられており、出版物などへの掲載についてもカトリック長崎大司教区 の許可が必要です。
● 堂内での飲食・喫煙はできません。ペットボトルを取り出して飲むのもやめましょう。

4.教会内外のものにむやみに触れないでください。
● 堂内にある聖書や祈祷書は信者の私物の場合もあるのでむやみに触れないでください。
● 教会の鐘は信者にとって大切な祈りの時の合図。勝手に鳴らさないようにしましょう。
● 教会入口に設置している「聖水盤」には、司祭が祝福した「聖水」が入っており、信者が身を清め るために使います。灰皿と間違えないでください。

5.脱帽・拝観にふさわしい服装で
● 堂内では帽子を取りましょう。
● 平服でかまいませんが肌を露出した服装は避けてください。

 

教会は今もなお、心のよりどころとして島の人々に大切に守られている祈りの場です。マナーを守り、その文化や歴史に思いを馳せる時間をお過ごしください。

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有川港ターミナル内の長崎巡礼センター 新上五島町ステーションでは、巡礼地およびコースのご紹介、巡礼ガイドの手配などのお手伝いを行っています。巡礼手帳(スタンプ帳)も販売しております。

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