- 所要時間:3日間
- 主な交通手段:車
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宿を出発!
青方教会
青方教会の保護者は「聖家族」。
昭和35年(1960年)から昭和45年(1970年)にかけて、近隣の信徒達(折島、熊高、樽見など)が合併前の旧町の中心であった青方集落に集団で転居移住を始めたため、信徒数が急増し昭和50年(1975年)に前聖堂が現教会の北側に建立され、大曽教会の巡回教会となった。現在町内に残るほとんどの教会が明治初期から昭和30年代までに建てられたものであるのに対し、青方教会は、前教会でさえ昭和50年と歴史は浅く、現教会に至っては平成12年(2000年)に建てられただけあって、新しく上五島地区のカトリックセンターとしての機能を持つ。
昭和35年(1960年)から昭和45年(1970年)にかけて、近隣の信徒達(折島、熊高、樽見など)が合併前の旧町の中心であった青方集落に集団で転居移住を始めたため、信徒数が急増し昭和50年(1975年)に前聖堂が現教会の北側に建立され、大曽教会の巡回教会となった。現在町内に残るほとんどの教会が明治初期から昭和30年代までに建てられたものであるのに対し、青方教会は、前教会でさえ昭和50年と歴史は浅く、現教会に至っては平成12年(2000年)に建てられただけあって、新しく上五島地区のカトリックセンターとしての機能を持つ。
約7分
大曽教会
教会の保護者は「イエスのみ心」。
1879年に木造教会を建立し、1916年に現在のレンガ造りの教会堂となった。
鉄川与助による設計施工で、ステンドガラスは西ドイツ製、レンガは早岐から仕入れられた。
内部は3廊式で、主廊部・側廊部ともに漆喰仕上げ4分割ルブヴォールト天井で造られている。
正面中央部には八角形のドームを有する鐘塔が突出しており、レンガの凹凸による装飾、
色の異なるレンガを規則的に使用するなど、壁面の意匠化も工夫されている。県指定有形文化財。
旧教会は、1915年に若松の土井ノ浦教会として移築された。
約10分
跡次教会
教会の保護者は「海の星の聖母」。初代教会は、1914年に青方小学校を半分買い受けて建立。その後1932年に前教会の材木の良い部分を使って2代目の教会、1984年に現教会を建立した。 国道からすぐの山手に見ることができ、緑の中に映える白い外壁が美しい教会。世界初の洋上石油備蓄基地を展望できる高台にあり、教会からの眺望も美しい。
約12分
猪ノ浦教会
他の集落からも海上からも見えないような入江の奥地にある教会。
教会の保護者は「聖イシドロ」。
猪ノ浦に人が移り住むようになったのは明治の中頃のようで大曽教会に属し、信者は大曽まで通っていたが、昭和22年(1947年)に聖堂が建設され昭和43年(1968年)には司祭館が建てられた。昭和50年(1975年)真手ノ浦小教区に属し、聖堂は老朽化のため、平成元年(1989年)に建て替えられた。
教会の保護者は「聖イシドロ」。
猪ノ浦に人が移り住むようになったのは明治の中頃のようで大曽教会に属し、信者は大曽まで通っていたが、昭和22年(1947年)に聖堂が建設され昭和43年(1968年)には司祭館が建てられた。昭和50年(1975年)真手ノ浦小教区に属し、聖堂は老朽化のため、平成元年(1989年)に建て替えられた。
約17分
焼崎教会
入り組んだ海岸線に面した教会。
教会の保護者は「聖アンナ」。
大正3年(1914年)の伝道学校に始まり、昭和25年(1950年)に焼崎の浜に教会を建立。
老朽化の進んだ教会は、昭和44年(1969年)に建て替えられ現在に至る。
焼崎は中通島の最も西に位置し、狭い山道と海岸沿いの道を通過した先の突きあたりの集落で教会はその集落の入口部に建てられている。付近には王直に関する倭寇伝説が残る小手ノ浦がある。
教会の保護者は「聖アンナ」。
大正3年(1914年)の伝道学校に始まり、昭和25年(1950年)に焼崎の浜に教会を建立。
老朽化の進んだ教会は、昭和44年(1969年)に建て替えられ現在に至る。
焼崎は中通島の最も西に位置し、狭い山道と海岸沿いの道を通過した先の突きあたりの集落で教会はその集落の入口部に建てられている。付近には王直に関する倭寇伝説が残る小手ノ浦がある。
約25分
真手ノ浦教会
教会の保護者は「聖ヨセフ」。
1910年(明治43年)頃、国道横にあるオラショ館が信仰の中心となっていたとされている。 1956年(昭和31年)建立。 現在の教会堂は2010年(平成22年)に建て替えられた。隣の高仏集落は17世紀初め頃まで五島での主な教会所があり、信者も多かったと言われており、五島の中でも古くから信仰が行われていた地域と考えられる。
1910年(明治43年)頃、国道横にあるオラショ館が信仰の中心となっていたとされている。 1956年(昭和31年)建立。 現在の教会堂は2010年(平成22年)に建て替えられた。隣の高仏集落は17世紀初め頃まで五島での主な教会所があり、信者も多かったと言われており、五島の中でも古くから信仰が行われていた地域と考えられる。
約10分
中ノ浦教会
教会の保護者は「おとめ聖マリア」。
1925年(大正14年)に建てられた木造教会。 1966年(昭和41年)、木造教会では珍しく高い鐘塔を増築。
シンプルな木造教会で、内部に描かれている椿が印象的。 内部の主廊は折上げ天井、祭壇部だけがリブヴォールト天井である。海辺に映る姿が鮮明であることから、「水鏡の教会」と呼ばれる。
1925年(大正14年)に建てられた木造教会。 1966年(昭和41年)、木造教会では珍しく高い鐘塔を増築。
シンプルな木造教会で、内部に描かれている椿が印象的。 内部の主廊は折上げ天井、祭壇部だけがリブヴォールト天井である。海辺に映る姿が鮮明であることから、「水鏡の教会」と呼ばれる。
約2分
若松大浦教会
十字架が無ければ見逃してしまいそうな、民家風の小さな教会堂。 1926年(大正15年)ヒューゼ師により祝別された。教会の保護者は「イエスのみ心」。
昭和元年(1926年)創立、昭和20年代民家を借り受けて聖堂にしており、現在は桐教会巡回教会となっている。 祭壇上部に位置する聖母像は、地元大浦地区の方が製作したもので、西洋風の女性というよりも「五島に根付いたやさしい母の顔」をしており、歴史の重みとともに深い信徒心を感じさせてくれる。
昭和元年(1926年)創立、昭和20年代民家を借り受けて聖堂にしており、現在は桐教会巡回教会となっている。 祭壇上部に位置する聖母像は、地元大浦地区の方が製作したもので、西洋風の女性というよりも「五島に根付いたやさしい母の顔」をしており、歴史の重みとともに深い信徒心を感じさせてくれる。
約17分
龍観山展望所
白いトラス橋の若松大橋と若松瀬戸を一望できるビュースポット
★絶景スポット
西海国立公園・若松瀬戸を一望できる絶景ビュースポット。
若松大橋の白、海と空の青、山々の緑、島々が織り成す複雑な入り江は見事なコントラスト。
春先は展望広場に桜の花が咲き、花見やピクニックに訪れる人で賑わいます。
山間に桐教会も見え、早朝に訪れると、野性のシカに出会えるかもしれません。
また長崎県新観光百選の地にも認定されています。
西海国立公園・若松瀬戸を一望できる絶景ビュースポット。
若松大橋の白、海と空の青、山々の緑、島々が織り成す複雑な入り江は見事なコントラスト。
春先は展望広場に桜の花が咲き、花見やピクニックに訪れる人で賑わいます。
山間に桐教会も見え、早朝に訪れると、野性のシカに出会えるかもしれません。
また長崎県新観光百選の地にも認定されています。
約22分
大平教会
教会の保護者は「被昇天の聖母」。
明治25年(1892年)最初の教会を建設したが老朽化が激しく、昭和33年(1958年)現在の聖堂を建立し、山口大司教によって祝別された。若松島の最も北に位置し若松瀬戸に面し、前にコバルトブルーの海、後ろは山の緑に包まれ、ひっそりと佇む。教会目前の岩場にはマリア像が建てられている。天井へ向けて両側から曲線をほどこした内観に特徴がある。
明治25年(1892年)最初の教会を建設したが老朽化が激しく、昭和33年(1958年)現在の聖堂を建立し、山口大司教によって祝別された。若松島の最も北に位置し若松瀬戸に面し、前にコバルトブルーの海、後ろは山の緑に包まれ、ひっそりと佇む。教会目前の岩場にはマリア像が建てられている。天井へ向けて両側から曲線をほどこした内観に特徴がある。
約40分
土井ノ浦教会
教会の保護者は「イエスのみ心」。
土井ノ浦教会は、明治25年(1892年)に仮の教会が建てられた。 その後、大曽教会が大正4年(1915年)にレンガ造りの建物を新築したことから、木造の旧大曽教会を買い受けて大正7年(1918年)に移築完成したもので、現在の姿は昭和35年(1918年)及び平成9年(1997年)に大改築が行われ近代的に見えるが、内部を見ると木造建築の初期の教会様式が伺える。当初、桐小教区に属していたが、昭和32年(1957年)、土井ノ浦、大平、有福の三つの教会が土井ノ浦小教区として独立した。教会隣の「カリスト記念館」には、キリシタン弾圧の時代を乗り越え、今へと信仰をつなげてきた人々の貴重な資料(オラショの写しやメダイ、マリア観音像など)が展示されている。
土井ノ浦教会は、明治25年(1892年)に仮の教会が建てられた。 その後、大曽教会が大正4年(1915年)にレンガ造りの建物を新築したことから、木造の旧大曽教会を買い受けて大正7年(1918年)に移築完成したもので、現在の姿は昭和35年(1918年)及び平成9年(1997年)に大改築が行われ近代的に見えるが、内部を見ると木造建築の初期の教会様式が伺える。当初、桐小教区に属していたが、昭和32年(1957年)、土井ノ浦、大平、有福の三つの教会が土井ノ浦小教区として独立した。教会隣の「カリスト記念館」には、キリシタン弾圧の時代を乗り越え、今へと信仰をつなげてきた人々の貴重な資料(オラショの写しやメダイ、マリア観音像など)が展示されている。
約20分
有福教会
教会の保護者は「聖フランシスコ・ザビエル」。昭和2年(1927年)現在の教会を建立され、大崎八重師によって祝別された。土井ノ浦小教区が設立されるまでは、隣の島である奈留島の小教区に属し、奈留教会の巡回教会であった。若松島のなかでも一番西に位置し、教会は東シナ海の荒波に面しており、聖堂内は木造で重層屋根、三廊式、平天井。 日本の教会の歴史を物語る純和風の造りである。